2019-10-17
『ハンドメイドもののプレゼント』と云う地獄。
――――――――昨日は『親切搾取』の記事に多くアクセスくださりありがとうございました。…ブログ村の集計ではPVビューでは通常の倍以上のアクセスがあったようです(笑)
んで、親切搾取よりもある意味闇が深い、これこそ長年の積もり積もった鬱憤というのか、でもこれを明文化したらばある人は立腹、ある人は嘆き、ある人は軽蔑と、かなりの友人知人を敵に回しかねないなあ、という問題がありましてね。
しかしこの流れでないとこの先公表できるかどうか…ぶっちゃけウィークか(笑)
というか、明文化して自分自身へのきつい戒めともしないといけないなあというのもありましてね。
自分が被害者になることもあれば同時に気が付かぬうちに加害者になってることが多々ある、それがハンドメイドもののプレゼントです。
――――――ええ、女子であれば誰しも通る道だと思いますが、ハンドメイドもの、手料理然りお菓子作り然り、小物作り然り、総くくりでハンドメイドものこそ最高のもの!!自分が手間暇かけて作ったものこそが相手への最高のプレゼントになる、と妄信する。
で、それができない女子とかを上から目線でマウントし『…だからあの子はダメなのよねー』とか不遜にも思う。
――――――――あるよね?あるよね?(笑)
こーゆー価値観は世界的に見ても普遍的と言いますか、だからこそ料理も手芸もハンドメイドもの全部が苦手、って方はそれだけでものすごい劣等感を植え付けられ、必要以上に自分を卑下しながら生きてる方もとても多いです。
ハンドメイドもののいいところ、それは誉め言葉しかもらえないところです。
身内であれば辛辣に批評されることは多いと思いますが、それが他人へのプレゼントとなると一気に形勢逆転。
絶対に誉め言葉と感謝の言葉しか頂きません。――――――内心『勘弁しろよ』と思っている人が大多数であっても。
で、誰に何作っても感謝と誉め言葉しかもらわないので、どんどん調子に乗って『私の生きる道はここ!』とそのレールから降りない、どんどん勘違いに勘違いを重ねて、結果的には相手に嫌われ、避けられるようになる。
まあ、大半の人は『ハンドメイドプレゼント幻想』にはまっても、費用対効果が薄かったり、飽きてきたり、貰う方も慣れてしまって大して感謝しなくなったりで、『…買った方が安くね?お互いしがらみがなくなる分だけ買ったものの方が楽じゃね?』と気が付いて目が覚めるものですが。
ところがですね、着物ブロガー業界は着物という『手縫いが基本』というアイテムがメインになってるせいもあるのか、とにかくハンドメイドものプレゼントが横行(笑)
そう、着物関連の品物は、買うと高いが自作すると安い。だから低予算で色んなアイテムを製作し、それをプレゼントに使えば感謝はされるし安上がりだし、自分の腕の自慢もできるし(笑)
しかしここが肝。…和裁が出来て着付けができる人だからって着物のセンスがいいわけではない。
ハンドメイドものが大好き、料理大好きなお人がセンスのいい作品、おいしい食べ物を作れるわけではない。
センスが飛びぬけていい人は結局ご自分でショップとか立ち上げて、見事に趣味を『対価を頂ける商品』に昇華でき、最終的にはそのような『商品』となってしまった自分のハンドメイドものは、おいそれと人様へのプレゼントには使わないようになる。
ハンドメイド販売サイトとかで、自分が作ったもので少額であっても対価を得ている人は不思議なくらいにそれらを人へのプレゼントに使いません。…むしろそれをプレゼントしてほしいくらいなのに(笑)
広い世界?で己の力量を知るってことでしょうか。
問題なのは、純粋に趣味の域にどっぷり浸かっている『作るのが好き!!』って素人。
作ることが好きなだけなんです。売れるための商品にするため日々切磋琢磨するとかリサーチするとかせず、純粋に自分が作りたいと思ったものだけ作る。
なので当然、その人本人の感性というかセンスがもろに出る。
その場合、その本人だけが身に着けるのならいいのです。本人が好きで作った、本人セレクトな素材や生地。それはその人にはそれなりに似合うでしょう。とんでもなくお似合いになることだってある。
で、センスが素晴らしいおしゃれさんな方が作ったものだったらば、それをプレゼントで頂く人は天国です。大概の人には心底喜ばれるような作品になってることが多いから。
しかしかなりの割合で、頂いた瞬間硬直するような、でも心にもない誉め言葉と感謝を述べねばならない地獄に突き落とすハンドメイドものプレゼントマニアが存在するのでございます…
純粋に作るのが好きで、自分が楽しむだけに作るだけなら害はない。SNSで公表してるだけでも害はない。
そこに他人を巻き込んで、自分の作品、その奥にあるもの『自分』を見てほしい、認めてほしいがあるからいけないのです。それはもう、相手へのプレゼントではない。エゴの押し付けでしかない。
腕というか技量面は素晴らしい人も多いです。しかしセンスが壊滅(笑)
…センスが壊滅は言葉が悪いですが、これは『相手を見ていない、自分だけを見ている』の結果なのではないかなー
そう、結局独りよがりなわけですよ。
独りよがりだから、サプライズ的にとんでもないハンドメイドものを意気揚々と持って来て、当然のように誉め言葉と感謝を期待する。
頂いた方は誉めて感謝するのが人としての道だからそれをしなくてはならない。地獄ですな。
とにかくセンスが悪いものを当然のように人にプレゼントしてくる人は、まず、相手の人となりを見ていない。常に、自分。
自分がいいと思ったから作って差し上げた。おいしいと思ったから作って差し上げた。……全部、自分。
貴方は『いいものが出来た、喜んでくれるわ!』と思っても、はなっから相手不在なので相手からすれば『………』なのです。
そもそも『これは自分はいいと思っても相手にしてみたらどうなのかな?』という考えが抜け落ちていることがもうアウト。
お若い人はこーゆー人は少ないです。むしろ謙虚すぎるくらい謙虚。
腕に覚えがあり、それに自信も持っていて年齢が40代以降。自分より年下の人に無意識化でのマウンティングとしてこのような独りよがりなハンドメイドものプレゼントを行うことが非常に多い気がしますよ(笑)
で、無意識化で、相手をすんごく舐めている。
『こーゆーの、貴方作れないでしょ?』というとんでもなく相手を舐め腐った視線がそこにある。
――――――いや、作れるけど、欲しいわけじゃない。必要じゃない。だから作らないだけ。って事情が相手にあるかもしれないってことも一切考えない。
そんなわけで着物ブロガー歴15年。…塵と積もったハンドメイドものプレゼントがゴミと化しております(爆)
そう、市販品の頂きものであれば不要と判断すれば簡単に処分できるんです。…ハンドメイドものってのはその人の念が入ってる分処分しにくい…
しかもたちが悪いことに、センスの悪い独りよがり作品を粗造乱造するタイプのお人は『あれ、使ってる??使ってる??』ととにかく使ってほしくて仕方がないので鬱陶しい。
で、なんとなく使ってもらえてない、気に入ってもらえてない気配を察すると途端に拗ねてひねくれる。程度が悪いと嫌味まで言い始める。
作品にセンスがないのはその人本人の生き方のセンスのなさ、でもあるなあ、と。
ていうか、結構その人の人格そのものが如実に作品に出てくるような気がしますよ(笑)だから闇が深い。
そして…今気が付きましたが、センス悪いなー、と思うハンドメイドものをプレゼントしてくる人のこと、私、嫌いなんですね(笑)
嫌いというか波長が合わない。
波長が合わない人がその人の波長でもって作った作品ですから、そりゃ私がセンス悪く感じるのも無理はない。波長が合わないんだから。
なので私、『手づくり品 乞われ乞われて作るもの』を心に刻んで生きております。
乞われてもいないのに、勝手にサプライズ的に作ってプレゼントしてみても暴力にしかならない。
先方が欲しいと具体的な希望を出してくださって初めてお作りすることにしています。
…ハンドメイドものは、人のぬくもりだとかなんだとかの美辞麗句で推奨されることも多いですが、人心が錯綜する非常に厄介なアイテムでもあります。
だからこそ世には『お使いもの』というカテゴリーがある。
手作り菓子をプレゼントされ、それが微妙だと作った本人の株が激落しますが、そこそこ名のあるメーカーのお使いもの菓子を頂いて、それが微妙な場合であっても『このメーカーのも大したことないんだねえ…』で済み、贈った本人への評価は変わらない(笑)
その人本人が欲しいと言い、その希望に沿って作ったハンドメイドものならば、心から相手は喜び、感謝し、褒めてくださるでしょう。
そうでないサプライズものは、まあ、8割くらいは相手にとっては大迷惑な代物だと心した方がいいと思います。
故・吉野朔実の漫画内のセリフ『自分が相手にしてあげたいと思うことと、相手がしてほしい事が一致する事は稀なんだ。』これは至言だと思います。
―――――――このように長々書きましたが、ワタクシだってハンドメイド至上主義で相手の迷惑考えずにプレゼントしては得意になってた昔もあるわけで(笑)
今だってハンドメイドではなくても余ってる野菜とかおもちゃとかを人に押し付けて、上辺ではありがたい顔してもらえても内心はすっげー迷惑と思われていることも多々あるはずなので、本当に、本当に気を付けなくてはなりません。
―――――――しかしもう、ゴミになってる頂きものハンドメイド品はガンガン捨てようと思います。
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んで、親切搾取よりもある意味闇が深い、これこそ長年の積もり積もった鬱憤というのか、でもこれを明文化したらばある人は立腹、ある人は嘆き、ある人は軽蔑と、かなりの友人知人を敵に回しかねないなあ、という問題がありましてね。
しかしこの流れでないとこの先公表できるかどうか…ぶっちゃけウィークか(笑)
というか、明文化して自分自身へのきつい戒めともしないといけないなあというのもありましてね。
自分が被害者になることもあれば同時に気が付かぬうちに加害者になってることが多々ある、それがハンドメイドもののプレゼントです。
――――――ええ、女子であれば誰しも通る道だと思いますが、ハンドメイドもの、手料理然りお菓子作り然り、小物作り然り、総くくりでハンドメイドものこそ最高のもの!!自分が手間暇かけて作ったものこそが相手への最高のプレゼントになる、と妄信する。
で、それができない女子とかを上から目線でマウントし『…だからあの子はダメなのよねー』とか不遜にも思う。
――――――――あるよね?あるよね?(笑)
こーゆー価値観は世界的に見ても普遍的と言いますか、だからこそ料理も手芸もハンドメイドもの全部が苦手、って方はそれだけでものすごい劣等感を植え付けられ、必要以上に自分を卑下しながら生きてる方もとても多いです。
ハンドメイドもののいいところ、それは誉め言葉しかもらえないところです。
身内であれば辛辣に批評されることは多いと思いますが、それが他人へのプレゼントとなると一気に形勢逆転。
絶対に誉め言葉と感謝の言葉しか頂きません。――――――内心『勘弁しろよ』と思っている人が大多数であっても。
で、誰に何作っても感謝と誉め言葉しかもらわないので、どんどん調子に乗って『私の生きる道はここ!』とそのレールから降りない、どんどん勘違いに勘違いを重ねて、結果的には相手に嫌われ、避けられるようになる。
まあ、大半の人は『ハンドメイドプレゼント幻想』にはまっても、費用対効果が薄かったり、飽きてきたり、貰う方も慣れてしまって大して感謝しなくなったりで、『…買った方が安くね?お互いしがらみがなくなる分だけ買ったものの方が楽じゃね?』と気が付いて目が覚めるものですが。
ところがですね、着物ブロガー業界は着物という『手縫いが基本』というアイテムがメインになってるせいもあるのか、とにかくハンドメイドものプレゼントが横行(笑)
そう、着物関連の品物は、買うと高いが自作すると安い。だから低予算で色んなアイテムを製作し、それをプレゼントに使えば感謝はされるし安上がりだし、自分の腕の自慢もできるし(笑)
しかしここが肝。…和裁が出来て着付けができる人だからって着物のセンスがいいわけではない。
ハンドメイドものが大好き、料理大好きなお人がセンスのいい作品、おいしい食べ物を作れるわけではない。
センスが飛びぬけていい人は結局ご自分でショップとか立ち上げて、見事に趣味を『対価を頂ける商品』に昇華でき、最終的にはそのような『商品』となってしまった自分のハンドメイドものは、おいそれと人様へのプレゼントには使わないようになる。
ハンドメイド販売サイトとかで、自分が作ったもので少額であっても対価を得ている人は不思議なくらいにそれらを人へのプレゼントに使いません。…むしろそれをプレゼントしてほしいくらいなのに(笑)
広い世界?で己の力量を知るってことでしょうか。
問題なのは、純粋に趣味の域にどっぷり浸かっている『作るのが好き!!』って素人。
作ることが好きなだけなんです。売れるための商品にするため日々切磋琢磨するとかリサーチするとかせず、純粋に自分が作りたいと思ったものだけ作る。
なので当然、その人本人の感性というかセンスがもろに出る。
その場合、その本人だけが身に着けるのならいいのです。本人が好きで作った、本人セレクトな素材や生地。それはその人にはそれなりに似合うでしょう。とんでもなくお似合いになることだってある。
で、センスが素晴らしいおしゃれさんな方が作ったものだったらば、それをプレゼントで頂く人は天国です。大概の人には心底喜ばれるような作品になってることが多いから。
しかしかなりの割合で、頂いた瞬間硬直するような、でも心にもない誉め言葉と感謝を述べねばならない地獄に突き落とすハンドメイドものプレゼントマニアが存在するのでございます…
純粋に作るのが好きで、自分が楽しむだけに作るだけなら害はない。SNSで公表してるだけでも害はない。
そこに他人を巻き込んで、自分の作品、その奥にあるもの『自分』を見てほしい、認めてほしいがあるからいけないのです。それはもう、相手へのプレゼントではない。エゴの押し付けでしかない。
腕というか技量面は素晴らしい人も多いです。しかしセンスが壊滅(笑)
…センスが壊滅は言葉が悪いですが、これは『相手を見ていない、自分だけを見ている』の結果なのではないかなー
そう、結局独りよがりなわけですよ。
独りよがりだから、サプライズ的にとんでもないハンドメイドものを意気揚々と持って来て、当然のように誉め言葉と感謝を期待する。
頂いた方は誉めて感謝するのが人としての道だからそれをしなくてはならない。地獄ですな。
とにかくセンスが悪いものを当然のように人にプレゼントしてくる人は、まず、相手の人となりを見ていない。常に、自分。
自分がいいと思ったから作って差し上げた。おいしいと思ったから作って差し上げた。……全部、自分。
貴方は『いいものが出来た、喜んでくれるわ!』と思っても、はなっから相手不在なので相手からすれば『………』なのです。
そもそも『これは自分はいいと思っても相手にしてみたらどうなのかな?』という考えが抜け落ちていることがもうアウト。
お若い人はこーゆー人は少ないです。むしろ謙虚すぎるくらい謙虚。
腕に覚えがあり、それに自信も持っていて年齢が40代以降。自分より年下の人に無意識化でのマウンティングとしてこのような独りよがりなハンドメイドものプレゼントを行うことが非常に多い気がしますよ(笑)
で、無意識化で、相手をすんごく舐めている。
『こーゆーの、貴方作れないでしょ?』というとんでもなく相手を舐め腐った視線がそこにある。
――――――いや、作れるけど、欲しいわけじゃない。必要じゃない。だから作らないだけ。って事情が相手にあるかもしれないってことも一切考えない。
そんなわけで着物ブロガー歴15年。…塵と積もったハンドメイドものプレゼントがゴミと化しております(爆)
そう、市販品の頂きものであれば不要と判断すれば簡単に処分できるんです。…ハンドメイドものってのはその人の念が入ってる分処分しにくい…
しかもたちが悪いことに、センスの悪い独りよがり作品を粗造乱造するタイプのお人は『あれ、使ってる??使ってる??』ととにかく使ってほしくて仕方がないので鬱陶しい。
で、なんとなく使ってもらえてない、気に入ってもらえてない気配を察すると途端に拗ねてひねくれる。程度が悪いと嫌味まで言い始める。
作品にセンスがないのはその人本人の生き方のセンスのなさ、でもあるなあ、と。
ていうか、結構その人の人格そのものが如実に作品に出てくるような気がしますよ(笑)だから闇が深い。
そして…今気が付きましたが、センス悪いなー、と思うハンドメイドものをプレゼントしてくる人のこと、私、嫌いなんですね(笑)
嫌いというか波長が合わない。
波長が合わない人がその人の波長でもって作った作品ですから、そりゃ私がセンス悪く感じるのも無理はない。波長が合わないんだから。
なので私、『手づくり品 乞われ乞われて作るもの』を心に刻んで生きております。
乞われてもいないのに、勝手にサプライズ的に作ってプレゼントしてみても暴力にしかならない。
先方が欲しいと具体的な希望を出してくださって初めてお作りすることにしています。
…ハンドメイドものは、人のぬくもりだとかなんだとかの美辞麗句で推奨されることも多いですが、人心が錯綜する非常に厄介なアイテムでもあります。
だからこそ世には『お使いもの』というカテゴリーがある。
手作り菓子をプレゼントされ、それが微妙だと作った本人の株が激落しますが、そこそこ名のあるメーカーのお使いもの菓子を頂いて、それが微妙な場合であっても『このメーカーのも大したことないんだねえ…』で済み、贈った本人への評価は変わらない(笑)
その人本人が欲しいと言い、その希望に沿って作ったハンドメイドものならば、心から相手は喜び、感謝し、褒めてくださるでしょう。
そうでないサプライズものは、まあ、8割くらいは相手にとっては大迷惑な代物だと心した方がいいと思います。
故・吉野朔実の漫画内のセリフ『自分が相手にしてあげたいと思うことと、相手がしてほしい事が一致する事は稀なんだ。』これは至言だと思います。
―――――――このように長々書きましたが、ワタクシだってハンドメイド至上主義で相手の迷惑考えずにプレゼントしては得意になってた昔もあるわけで(笑)
今だってハンドメイドではなくても余ってる野菜とかおもちゃとかを人に押し付けて、上辺ではありがたい顔してもらえても内心はすっげー迷惑と思われていることも多々あるはずなので、本当に、本当に気を付けなくてはなりません。
―――――――しかしもう、ゴミになってる頂きものハンドメイド品はガンガン捨てようと思います。



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